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東京高等裁判所 平成6年(行ケ)151号 判決 1996年3月26日

原告

和佐諌

右訴訟代理人弁護士

水中誠三

被告

高等海難審判庁長官

小泉諄一

右指定代理人

矢吹雄太郎

外四名

主文

一  高等海難審判庁が同庁平成五年第二審第二七号貨物船大峰山丸引船第十一利丸被引台船玄武衝突事件につき、平成六年五月三一日言い渡した裁決中、原告を戒告する部分(主文第三項)を取り消す。

二  訴訟費用は、被告の負担とする。

事実

第一  当事者の求めた裁判

一  原告

主文第一項のとおり。

二  被告

請求棄却

第二  当事者の主張

一  原告の請求原因

1  平成二年一二月一八日午前一時五〇分頃、伊豆半島石廊崎西方沖合の石廊崎灯台から二四八度四海里ばかりの地点(衝突地点)において、貨物船大峰山丸の船首が引船第十一利丸に曳航されていた被引台船玄武の船首に衝突する事件(本件衝突事件)が発生した。

大峰山丸は、長さ60.63メートル、総トン数四六七トンの船尾船橋型貨物船で、船長小畑勇雄、一等航海士河野重光ほか三人が乗り組み、じゃがいも四八七トンを積載して、平成二年一二月一五日午後四時一五分釧路港を発し、広島港に向かっていた。

第十一利丸は、長さ25.41メートルの引船で、原告ほか三人が乗り組み、全長50.00メートル幅18.00メートル深さ3.5メートルで銑鉄一三〇〇トンを積載した無人の台船玄武を引き、同月一七日午前七時二〇分名古屋港を発し、京浜港横浜区に向かっていた。

大峰山丸の当時の船橋当直者は一等航海士の河野重光であり、第十一利丸の当時の船橋当直者は船長の原告であった。

2  高等海難審判庁は、平成五年第二審第二七号貨物船大峰山丸引船第十一利丸被引台船玄武衝突事件につき、平成六年五月三一日次のとおりの裁決主文を言い渡した。

主文

本件衝突は、両船が、ほとんど真向かいに行き会い衝突のおそれがあるとき、大峰山丸が、針路を右に転じなかったことと、第十一利丸引船列が、針路を右に転じなかったこととによって発生したものである。

受審人河野重光を戒告する。

受審人原告を戒告する。

3  しかし、本件裁決には次のとおりの違法事由がある。

(一) 事実誤認

本件裁決は、本件衝突に至る経過を別紙裁決書のとおり認定している。しかし、この認定は次のとおり誤っている。

(1) 大峰山丸の神子元島通過から衝突までの速力

本件裁決は、右の速力を11.5ノットと認定している。しかし、衝突直前大峰山丸が後記のつけまわしを始める前までは約一一ノットであり、つけまわしを始めた後衝突までは約10.7ノットであったものである。

(2) 大峰山丸の二六七度への転針地点

本件裁決は、大峰山丸は、平成二年一二月一八日午前一時二九分頃二六七度へ転針したとし、その地点を石廊崎灯台から一七〇度1.7海里ばかりの地点としている。しかし、大峰山丸の転針時点での大峰山丸の位置は、同灯台から一七〇度1.5海里であったものである。

(3) 大峰山丸の二八〇度転針地点

本件裁決は、大峰山丸が同日午前一時四一分頃針路を二六七度から二八〇度に左転したとし、その時点(左転時点)の同船の位置を、石廊崎灯台から二二九度2.8海里ばかりの地点であり、これにより大峰山丸は、第十一利丸に向く針路となったと認定している。しかし、左転時点での大峰山丸の位置は、第十一利丸の進行方向直線上にはなく、左方向に大きく離れていたものである。

(4) 両船の距離が二海里ばかりであったときの両船の位置関係

本件裁決は、同日午前一時四三分頃、大峰山丸と第十一利丸とは、ほとんど真向かいに行き会い衝突のおそれのある態勢で接近し、両船は相手船両舷灯を視認できたと認定している。しかし、両船の距離が二海里ばかりであったとき、両船は、相手船の両舷灯を視認できる位置関係にはなかったものである。

(5) 航過距離

本件裁決は、同日午前一時四九分頃大峰山丸と第十一利丸とは左舷対左舷で二五メートルの航過距離で替わったと認定している。しかし、航過距離は一五〇メートルあまりあったものである。

(6) 大峰山丸の針路及び衝突角度

本件裁決は、河野が、第十一利丸と航過した頃被引船玄武の存在を失念し、大峰山丸を左舵一杯で回頭させ、同日一時五〇分少し前石廊崎灯台から二四八度四海里ばかりの地点で、ほぼ二五五度に向いた大峰山丸の船首が玄武の右舷船首部に前方から約三〇度の角度で衝突したと認定している。しかし、河野は、第十一利丸と航過する前から大峰山丸を徐々に左転させ(相手船の船尾方向へつける(追い回す)ように舵をとってかわすことから、これを「つけまわし」という。)、航過した後は左舵一杯としてそのまま進行し、玄武に衝突させたものであり、衝突角度は、約四五度であったものである。

(二) 航法の適用

本件裁決は、両船が衝突前海上衝突予防法一四条一項のいわゆる行き会いの関係にあったとし、原告が行き会い関係の場合適用される同条一項の右転の義務に違反したとして、原告を懲戒する裁決をした。しかし、両船は行き会いの関係になく、原告に法令の違反はない。被告は、原告主張の航路であったとしても、原告は行き会い関係にあるかどうか確かめることができない状況にあったから、海上衝突予防法一四条三項の適用があるとするが、そのような状況にはなかったもので、一四条三項の適用はない。

本件衝突は、両船が安全に替わる態勢にあったのに、河野が台船玄武の存在を失念して左転したことにより発生したものである。河野が台船玄武の存在を失念して両船が航過する前から左に舵を切って左転する以上、両船の航過距離が安全に替わり得るものであっても衝突事故は防げないものである。河野に対する懲戒は当然のことであるが、衝突の原因となる違反のない原告を懲戒する本件裁決は、違法不当である。

4  結論

よって、本件懲戒裁決は違法であるからその取消しを求める。

二  請求原因に対する被告の答弁

1  請求原因1及び2の事実を認める。

2  同3を争う。仮に両船の航路が、原告主張の航路に近かったとしても、原告は、自船が行き会い関係にあるかどうか確かめることができない状況にあったものであり、その場合には海上衝突予防法一四条三項により、原告は行き会い関係にあるものと判断して同法一四条の右転をする義務があったのに、これに違反したものであって、戒告の懲戒を受けるべきものである。したがって、本件懲戒裁決に違法はない。

三  証拠関係

本件記録中の書証目録及び証人等目録記載のとおりである。

理由

一  本件衝突に至る経過

証拠によれば、次の事実を認めることができる。

1  大峰山丸の航海速力は、神子元島通過後本件衝突時点まで、約一〇ないし一一ノットであった(乙三、三三)。

2  河野は、平成二年一二月一七日午後一一時三〇分頃、伊豆大島と神子元島の間で、船長から船橋当直を交代し、その後、神子元島灯台をほぼ真横(航海用語でビーム)に一四五度1.2マイルに見て、大峰山丸の針路を従前の二三五度からほぼ二六〇度に転針した(乙三、乙三一)。

3  河野は、同年一二月一八日午前一時二八分頃、石廊崎灯台を一七〇度約1.5マイルに見て、大峰山丸の針路を二六〇度からほぼ二六七度に転針した(乙三)。

4  河野は、大峰山丸の右舷船首方向に第十一利丸の連携したマスト灯三個及び紅灯を見た(乙三。乙三では河野は大峰山丸の左舷に第十一利丸の灯火を見たと述べるが、相互の位置関係からして左舷に見えることはありえないので、この点は記憶違いと認める。)。そして原告は、第十一利丸の左舷船首方向に大峰山丸のマスト灯及び緑灯を見た(乙五、二六、当審原告供述)。河野は、第十一利丸の灯火の角度が変化しなかったので、このままでは衝突のおそれがあると考え、左舷対左舷でかわるため、大峰山丸を右転して第十一利丸を避けようとし、大峰山丸の針路を従前の二六七度からほぼ二八〇度に転針した(乙三、二六)。そのときの両船の距離は約二マイルで、時刻は一八日午前一時四三分頃であった。

5  大峰山丸が二八〇度に転針後、第十一利丸は、大峰山丸の左舷船首方向にマスト灯と紅灯を見せていた。そして、大峰山丸は、第十一利丸の左舷船首方向にマスト灯と紅灯を見せていた(甲一五、乙二六、三一、当審原告供述)。そして、両船の位置関係は、おおむね別紙図面のとおりであり、大峰山丸が後記の左転を始める前の両船の横船間距離は、一八〇ないし二一〇メートルあった。

6  河野は、第十一利丸の掲げる灯火により第十一利丸を引船列であると認識しなければならないのに、そのことを失念したか、第十一利丸自体が被引船でその後ろには被引船がないと誤信し、第十一利丸をかわせばすぐにもとの針路の方に戻ることができると軽信して、第十一利丸と替わる前の午前一時四七・八分頃から小刻みな左転を繰り返し、第十一利丸と約一二〇メートルの船間距離で航過した後、左舵一杯をとり第十一利丸の船尾をかわしたが、そのときになって初めて第十一利丸の後ろに台船玄武が曳航されているのに気付いた。しかし、そのときにはもはやどうすることもできず、左舵一杯のまま進行して、一八日午前一時五〇分頃、大峰山丸の船首が玄武の右舷船首付近に約四〇度の角度で衝突した(甲三〇、三一、乙三、五、二六、三一、四三、当審原告供述)。他方、原告は、大峰山丸と航過した後、同船が左転しているのに気付き、玄武への衝突の危険を感じ、エンジンを停止しライトをつけたが、衝突を避けることはできなかった(乙二六)。

以上のとおり認めることができる。

(一)  ところで、大峰山丸の航海速力に関し、被告は11.5ノットと主張する。しかし、これにそう証拠として、小畑船長の調書(乙四)があるが、小畑船長は本件衝突当時休憩中で船橋にいなかったのであるから、この調書の記載は信頼性に乏しい。また、被告は、潮流や風の影響などについても主張するが、本件衝突現場における当時の潮流や風の影響を具体的に知る資料は発見できず(被告提出の海洋速報(乙三九)は、その縮尺からみてそのような資料とするには不十分である。)、現実に操船していた者の供述を覆すには足りない。大峰山丸を操船していた河野の理事官調書(乙三)では、10.5ないし一一ノットであったとしており、衝突前の運行状態によってはこれを若干下回る速度であった可能性があり、修正の余地があるが、これをおおむね採用するのが相当である。

(二)  大峰山丸の神子元島通過に関し、被告主張の大峰山丸の航路(乙三五)では、神子元島灯台を真横に見てからさらに約四分、距離にして約一四〇〇メートル航行後転針したこととなる。しかし、神子元島と伊豆半島との間の狭い海域で船は右側通行であるから大峰山丸との反航船はその海域の神子元島寄りを通行することが多いものと考えられ、被告認定の航路では、大峰山丸は多数の反航船の流れに突っ込む航路となり、そのような認定をすることは困難であるといわねばならない。そして、河野は、神子元島通過というときの通過とは、神子元島灯台を真横に見るときであると述べており(乙三一)、このことも被告の認定と矛盾する。被告は、この転針の時間を河野が理事官に一時二〇分と供述し、それが事実に反することから、この河野の供述全体を採用できないと主張する。しかし、この供述の一時二〇分という数字は、証拠(甲一七、乙八、一七)によると、当時の使用海図に神子元島転針地点より石廊崎よりの地点にメモされていた数字であると認められるし、また航海日誌に神子元島一時二〇分と記載されていた時間であり、それが河野の頭の中にあったため、誤った供述をしたものと考えられる。そして、証拠(乙三一)によれば、河野は、神子元島の北1.2マイルであったということを海難審判の二審でも述べており、この供述全体を信用できないということはできない。なお、被告は、大峰山丸の神子元島通過の状況は本件の事実認定に影響しないというが、本件衝突までの大峰山丸の航路を認定する上で、神子元島通過の状況は参考となる。この点に関する被告の主張は採用できない。

(三)  大峰山丸の二六七度への転針地点について、被告は、石廊崎を1.7マイルに見た地点であると主張する。しかし、河野は、石廊崎灯台を1.4マイルに見て転針した旨供述している(乙三)。そして、河野は船長の指示でこのような転針をしたのであり、転針地点の認識を誤ることは考えがたい。右のとおり河野は石廊崎灯台から1.4マイルの地点であると供述し、これは本判決の認定との間に0.1マイルの差があるが、この差は、灯台の位置がレーダーに写る海岸線より引っ込んでいることから見て説明できるのであって、被告主張の地点のような供述との矛盾はない。

(四)  被告は、大峰山丸が二八〇度に転針後両船が真向かいに行き会う態勢となったと主張する。しかし、証拠(乙三一)によれば、河野が二六七度からほぼ二八〇度に転針したのは、それで相手船第十一利丸と替わると考えたからである。すなわち、河野は、相手船と紅灯(左舷)と紅灯(左舷)で航行するつもりであった。そうであるのに転針後は相手船を真向かいに見ることとなったとは考えがたい。それに大峰山丸が二八〇度に転針前被告主張の航路を航行していたのだとすると、大峰山丸からは、第十一利丸の見える角度が少ないながらも時間の経過と共に変わっていたはずであって、それだけ、衝突の危険が薄いこととなる。被告の主張では、それにもかかわらず河野が二八〇度に転針し、第十一利丸を真正面に見て、時間が経過しても第十一利丸の見える角度が変わらない状況となったというのであるが、そうだとすると、被告の主張では転針により第十一利丸との衝突の危険が増したこととなる。河野が衝突を避けるために転針するという意識的な行動をとったという事実は認められるのであるから、少なくとも転針の前後でより安全な状況に変化したというのでないと、河野の意識と現実とがあわないこととなり、不自然である。これに対して、大峰山丸が本判決認定の航路を進む場合は、河野は、転針前第十一利丸を右舷に見ていたが、第十一利丸の角度が変わらず衝突の危険を感じたので、ほぼ二八〇度に右転し、その結果第十一利丸を左舷に見て紅灯と紅灯で替わる態勢になり、河野が供述で述べた目的を達することとなる。

(五)  両船が航過するまでの位置関係及び航過距離について、被告は、両船がほぼ真向かいに行き会う態勢となり、両船の航過距離は二五メートルであったと主張している。しかし、河野の供述中で第十一利丸の舷灯が二つ(紅灯及び緑灯)とも見えていたというものは、海難審判の二審の供述からで(乙三一)、当初の供述では第十一利丸の紅灯を見たというものである(乙三)。また、原告の供述では、一貫して、大峰山丸の二八〇度への転針後は大峰山丸の紅灯のみを見たと述べている(乙二六、三一及び当審供述。もっとも審判官の問いに緑灯も少しだけ見えたかはっきりしないと答えたことがあり(乙二六)、これが被告の主張の支えとなっているが、前後の供述と照らし合わせてみると、その供述の趣旨は曖昧で採用に値しない。)。河野の当初の供述及び原告の供述はこのように相互に矛盾がなく、それだけ信頼性があるといわねばならない。そしてこれらの供述によれば、両船がほぼ真向かいに行き会う態勢であったとすることはできない。それに河野及び原告の供述に共通する特徴は、両船が航過する前には衝突の危険を感じなかったという点であって、両人ともに両船が航過してから後に大峰山丸と第十一利丸の衝突ではなく、大峰山丸と台船玄武との衝突の危険を感じている。そして、証拠(乙三、五)によれば、台船玄武の全幅は一八メートル、大峰山丸の全幅は一一メートルで、その合計は二九メートルある。このことと、第十一利丸は引船であって約三一〇メートル(第十一利丸の船尾から玄武の船尾までの距離。乙五)もの後方に引いている台船が左右に振れる可能性を考えると、長さ60.63メートルの大峰山丸と長さ25.41メートルの利丸とがほぼ真向かいに行き会い、しかも僅か二五メートルしか離していないということは、大峰山丸が第十一利丸と航過して本件のように左に転針しなくても、衝突の危険が大いにあることとなる。そのような状況であれば、両船は真正面から近づいているに等しく、両船の操船者は衝突の危険を感じて強い恐怖感を覚えたはずである(当審における原告供述でも、被告主張の航路であれば衝突寸前であるから、原告は、大峰山丸との航過前に、第十一利丸の機関を停止しライトを全てつけて備えると述べている。)。ところが、河野も原告もそのような衝突寸前の状態であったとは供述していない。双方の注意力が若干低下していたとしても(河野は第十一利丸とかわる際に大峰山丸を左転させたことは事実であり、その前からいつ左転させるか判断するため前方を見ていたと認められる。したがって、少なくとも同人が航過する前に全く前方を見ていなかったということは考えがたい。)、両船が航過するまで二人の操船者のいずれもが危険を感じていないことは、ほぼ真向かいに至近距離で接近していた事実はないことを示しているものと考えられる。そして、両船の航過距離についての河野及び原告の供述を見ると、当初は双方とも約一二〇メートル程度であったとしているのであり(乙三、五、二六、三一)、河野の後の供述中にはそれより短い距離であったとの部分が見られるが(乙二六、三一)、第一審審判における同人の供述(乙二六)は、後で考えると一二〇メートルより近かったと思うとか、目測で六〇ないし七〇メートルで引船と替わったと供述するなど一貫性がなく、しかも一二〇メートルより近かったと思う根拠は示されていないのであり、第二審審判における同人の供述は、実際にはよく見ていなかったとするなど曖昧であるのみならず、五〇メートルより近い距離で航過してから衝突するまでは一〇ないし一三秒であったとも供述するのであるが、本件裁決の認定する速度(大峰山丸11.5ノット、第十一利丸7.1ノット。原告主張より早い。)で一三秒間に両船が航走する距離の合計は約一二五メートルであって、両船が航過してから衝突するまでに航走すべき距離(第十一利丸と玄武との間の距離以下ではあり得ない。)の約二分の一であって、河野の右供述部分は到底採用することはできない。そして、右のように、河野の当初の供述は後の供述に比べれば信頼性が高いと考えられるのであるが、大峰山丸が二八〇度に転針後、相手船である第十一利丸は、大峰山丸の船首から左一〇度2.5マイルほどで、白灯三個と紅灯が見えていたとし、その後さらに接近したとき相手船は、船首から左五度約1.5マイルに見え、白灯三個と紅灯がみえたとしている(乙三)。相手船である第十一利丸の見える角度が左一〇度というのは、若干大きすぎるのであるが、相手船が見えた角度は、大峰山丸の船首左舷方向であって大峰山丸の真向いまたはほぼ真向いという角度ではなかったものと認められる。そして、この河野の供述と、相手船である大峰山丸は第十一利丸の左舷一五度1.5海里ばかりに見えたとする原告の供述(乙五。もっとも相手船である大峰山丸の見える角度が左一五度というのも若干大きすぎるのであるが、両人の供述がいずれも相手船が見える方向が船首左舷方向であるとしており、その角度が一般に船首のほぼ真向いとされる範囲より大きい五度ないし一五度の間にあることは重要である。)を考え合わせると、ほぼ二八〇度に転針後の両船の位置関係及び航過距離は、被告主張のようなものではなく、この認定を左右するに足る証拠はない。

本件裁決は、両船の航過距離について、大峰山丸と玄武との衝突角度が三〇度であることを前提として逆算された大峰山丸の回頭角度、大峰山丸の舵角二〇度における旋回径、左舵をとってから玄武に衝突するまでの経過時間及び利丸の玄武曳航状態等を総合勘案して作図により求めたところ二五メートルであるとするのであるが、この数値は前記のとおり極めて不自然であり、衝突角度、大峰山丸の左転開始時点などその前提となる事実について疑問を抱かざるを得ず、また、航過距離を二五メートルとする大峰山丸の航跡も事実に即したものとは認められない。

(六)  衝突角度について、被告は、大峰山丸の運動性能と原告の理事官に対する供述(乙五)を根拠に三〇度であったと主張する。しかし、夜間、約二六五メートル離れた地点で発生した衝突の角度を原告が認識できたとは考えられず、乙五の記載は、認定資料たりえないものと認められる(なお、河野のこの点に関する供述は、その裏付を欠き、正確なものとは認められない。)。また、被告は、大峰山丸の旋回性能等の運動性能を認定の根拠としているが、運動性能が被告の主張するとおりであったとしても、これを適用する前提である旋回を始める位置が異なれば、結論は異なるのであるから、運動性能を検討の資料としたからといって、正しい結論が導かれるとは限らない。そして最も客観的な証拠である船舶の損傷状況を見ると、証拠(乙三〇)及び弁論の全趣旨(原告準備書面(一)別紙6の図面参照)によれば、台船玄武に残る衝突痕は、大峰山丸が四五度の角度で衝突した場合でも残るようなものであったと認められる。被告は、右の衝突痕は、両船の衝突後分離するまでに発生したものであり、衝突痕の角度のみでは、衝突角度を判定できないと主張する。しかし、この点に関して工学的な計算により衝突角度を推定した株式会社海洋総合技研作成の検討報告書(甲一八)及び意見書(甲一九)では、衝突角度は四〇度ないし四五度、東京大学名誉教授高橋幸伯作成の意見書(乙四三)では約三八度であるとしており、衝突角度が四〇度程度であった可能性を強く示している(なお、門司地方海難審判理事所長及び広島地方海難審判庁審判官作成の意見書(乙四四、四五)は、上記の意見書とは検討の方法が異なり、直ちに採用しがたい。)。そして、前述のように衝突直前両船が航過したときの距離について、当初河野及び原告は一致して一二〇メートル程度であったとしており、他の供述等を考え合わせると一二〇メートル程度であったものと認められることを考えあわせると、衝突角度は三〇度ではありえず、約四〇度程度であったものと認められるのであり、この認定を覆すに足りる証拠はない。

二  法令の適用

右に認定したとおり、本件衝突前の両船の位置関係は、おおむね別紙図面のとおりであり、両船の間の距離が約二マイルとなってからは、お互いに相手に紅灯を見せて航行していたものと認められる。そうすると、両船は行き会いの関係にはなかったものといわざるをえない。

被告は、本判決認定の航路でも船舶のヨーイング(船首が左右に振れること)等を考慮すれば、相手船の両舷灯が見えることがあるとし、原告は、自船が行き会い関係にあるかどうか確かめることができない状況にあったものであり、その場合には海上衝突予防法一四条三項により、原告は行き会い関係にあるものと判断して同法一四条の右転をする義務があったと主張する。しかし、本判決認定の航路の場合、両船が約二マイルに近づいた段階以降、ヨーイングがあっても、相手船の両舷灯が自船の船首またはほぼ船首方向にほぼ常時見える(このようにほぼ常時見える場合一般に行き会い関係にあるとされる。)可能性はない。そして、本判決認定の航路にも若干の誤差を免れ難いのであり、その内容次第では、河野も原告も相手船の両舷灯を見ないことはありうるものと考えられる。さきに認定したように、河野も原告も当初の段階では相手船の紅灯のみを見ていたと供述していたが、それが真実に反するものとみることはできないのである。しかも原告から大峰山丸の灯火を見ると、大峰山丸の灯火は自船の船首から左舷の方向にあって(さきに認定したように、河野及び原告の当初の供述によると、船首の真向いまたはほぼ真向いとはいえない角度に見えたものである。)、時間の経過と共に明らかにその角度が拡大し(大峰山丸がほぼ二八〇度に変針する前は角度の変化は少なかったが、両船が約二マイルに近づいて大峰山丸が二八〇度に変針してからは、角度の変化は明らかに大きくなった。甲一二参照)、また大峰山丸のマスト灯の開きも大きくなるから、両船は、海上衝突予防法一四条にいう「二隻の動力船が真向かい又はほとんど真向かいに行き会う場合において衝突するおそれがあるとき」に該当するとはいえず、また、そのような行き会いの関係にあるかどうかを原告が確かめ得ないという状況にあったとも認定することはできない。この点に関する被告の主張は、いずれも採用することができない。

したがって、原告は、行き会い関係の場合や行き会いの関係であるかどうか確かめ得ない場合に適用される海上衝突予防法一四条の右転の義務はなく、原告が右転することなく従前の針路を維持していたことをもって法令に違反したものとはいえない。

すでに認定したように、本件衝突は、河野が台船玄武の存在を失念して左転したことにより発生したものと認められるのであり、衝突の原因はもっぱら河野の左転にあって、原告が本件衝突時当時法令に違反していた事実は認められないから、原告に対してされた懲戒裁決はその根拠を欠くものであって、取消を免れないものである。

三  結論

よって、原告の請求は理由があるからこれを認容することとし、主文のとおり判決する。

(裁判長裁判官篠田省二 裁判官淺生重機 裁判官杉山正士)

《参考・裁決》

主文

本件衝突は、両船が、ほとんど真向かいに行き会い衝突のおそれがあるとき、大峰山丸が、針路を右に転じなかったことと、第十一利丸引船列が、針路を右に転じなかったこととに因って発生したものである。

受審人河野重光を戒告する。

受審人和佐諌を戒告する。

理由

事件発生の年月日時刻及び場所

平成二年一二月一八日午前一時五〇分

石廊崎南西沖合

大峰山丸は、長さ60.63メートルの船尾船橋型貨物船で、船長小畑勇雄、受審人河野重光ほか三人が乗り組み、じゃがいも四八七トンを積載し、船首2.90メートル船尾4.00メートルの喫水をもって、平成二年一二月一五日午後四時一五分釧路港を発し、広島港に向かった。

(事実)

船種船名

貨物船大峰山丸

引船第十一利丸

台船玄武

船籍港

広島県広島市

山口県下関市

定係港

愛媛県今治市

船舶所有者

株式会社双葉商会

和佐興業有限会社

祥栄海運有限会社

総トン数

四六七トン

九九トン

積トン数

二、五〇〇トン

機関の種類

ディーゼル機関

ディーゼル機関

出  力

九五六キロワット

一、一七六キロワット

受審人

河野重光

和佐諫

職  名

一等航海士

船長

海技免状

五級海技士(航海)免状

(旧就業範囲)

五級海技士(航海)免状

(旧就業範囲)

河野受審人は、小畑船長と六時間交替で単独の船橋当直に当たり、翌々一七日午後一一時三〇分ごろ伊豆大島の西方沖合で同当直に就き、神子元島の北方水域を経由し、翌一八日午前一時二九分ごろ石廊崎灯台から一七〇度(真方位、以下三六〇度分法によるものは真方位、その他は磁針方位である。)1.7海里ばかりの地点で、針路を二六七度に定めて自動操舵とし、機関を全速力前進にかけ約11.5ノットの速力で進行した。

同一時三三分ごろ河野受審人は、レーダーで右舷前方五海里ばかりに第十一利丸(以下「利丸」という。)引船列の映像を初めて認めるとともに利丸の白灯を視認し、同時四〇分ごろ同引船列が右舷船首一三度三海里ばかりに接近したとき、同白灯が垂直線上に三個連掲され、利丸が船舶その他の物件を引いて反航していることを知り、同時四一分半ごろ石廊崎灯台から二二九度2.8海里ばかりの地点に達したとき、利丸の灯火が右舷船首一四度2.5海里ばかりとなったので、左舷を対して航過しようと思い、自動操舵の指針を見当で右に回し、二八〇度の針路に転じたところ、ほぼ同船に向く進路となったが、そのまま続航した。

同一時四三分ごろ河野受審人は、ほぼ正船首二海里ばかりとなった利丸の両舷灯を視認し、その動向を見ていたところ、利丸引船列とほとんど真向かいに行き会い、衝突のおそれのある態勢で接近するのを知ったが、そのうちに右転して左舷を対して替わそうと思い、速やかに同引船列と十分な航過距離をもって通過できるよう、大幅に針路を右に転ずることなく進行した。

同一時四六分少し過ぎ河野受審人は、石廊崎灯台から二四一度3.4海里ばかりの地点に達し、利丸引船列がほぼ正船首一海里ばかりに接近したとき、依然大幅な右転をしないで、小角度の右転をして二八五度の針路に転じ、同時四九分半ごろ利丸と約二五メートル離して航過したが、そのころ家庭内のことで思い悩んでいたこともあって、被引船玄武の存在をつい失念し、元の針路の二六七度に戻そうとして左舵約二〇度をとって回頭中、船首間近の玄武の灯火に気付いたものの、どうすることもできず、そのまま左舵をとり続け、同一時五〇分石廊崎灯台から二四八度四海里ばかりの地点において、ほぼ二五五度に向いた大峰山丸の船首が、玄武の右舷船首部に前方から約三〇度の角度で衝突した。

当時、天候は小雨で風力三の北西風が吹き、潮候は上げ潮の初期にあたり、視程は七海里ばかりであった。

小畑船長は、自室で就寝中、衝突の衝撃に気付いて昇橋し、事後の措置にあたった。

また、利丸は、長さ25.41メートルの引船で、受審人和佐諌ほか三人が乗り組み、全長50.00メートル幅18.00メートル深さ3.50メートルで、銑鉄約一、三〇〇トンを積載して船首2.20メートル船尾2.30メートルの喫水となった無人の台船玄武を船尾に引き、船首2.10メートル船尾3.90メートルの喫水をもって、同月一七日午前七時二〇分名古屋港を発し、京浜港横浜区に向かった。

和佐受審人は、甲板員と六時間交替で単独の船橋当直に当たり、伊良湖水道を通過したのち、長さ約五〇メートルの化繊ロープを長さ約二〇〇メートルのワイヤーロープの先端に取り付けて船尾から延出し、同化繊ロープを玄武の船首両舷端から延出した長さ約一八メートルの各ワイヤーロープにシャックルでY字型に連結し、利丸の船尾から玄武の後端までの距離を約三一五メートルのえい航状態とした。

やがて日没となったとき、和佐受審人は、利丸には垂直線上にマスト灯三個、舷灯、船尾灯及び引き船灯を点灯したほか、後部甲板上の鳥居型マスト頂部に四〇〇ワットの作業灯一個を後方に向け点灯してえい航索を照射し、玄武には舷灯及び船尾灯の設備がなかったところから、甲板上の両舷側端に長さ約1.5メートルの支柱を四本ずつほぼ等間隔に立て、その頂部に左舷側が白、白、紅、紅四灯及び有舷側が白、紅、白、白四灯の光達距離約二海里の各点減灯並びに甲板上船尾端中央に長さ約二メートルの支柱を立て、その頂部に光達距離約一海里の白色全周灯一個の合計九個のいずれも乾電池四本を電源とする小型標識灯がそれぞれ点灯しているのを確認して航行した。

同日午後七時ごろ和佐受審人は、甲板員と交替して船橋当直に就き、同一〇時二〇分ごろ御前崎灯台から南二海里ばかりの地点で、針路を東微南に定め、機関を全速力前進にかけ約7.1ノットのえい航速力で手動操舵により進行し、翌一八日午前〇時五〇分ごろ船位が石廊崎灯台から西二分の一北11.2海里ばかりの地点であることを確かめ、北方に圧流されているので、針路を東微南二分の一南に転じて続航した。

同一時三五分ごろ石廊崎灯台から西四分の三南5.4海里ばかりの地点に達したとき、和佐受審人は、左舷船首五度4.5海里ばかりに大峰山丸の白灯二灯を初めて認め、その方位がわずかに右方に替わるので前路を航過して行くものと思っているうち、同時四一分半ごろほぼ正船首2.5海里ばかりで、同船が自船に向けて転針したので、その動向を見ていたところ、同時四三分ごろほぼ正船首二海里ばかりとなったとき、同船の両舷灯を視認し、これとほとんど真向かいに行き会い、衝突のおそれのある態勢で接近するのを知ったが、そのうちに同船が右転するものと思い、速やかに十分な航過距離をもって通過できるよう、大幅に針路を右に転じることなく進行した。

同一時四六分少し過ぎ和佐受審人は、大峰山丸がほぼ正船首一海里ばかりに接近し、それまで視認していた同船の白、白、紅、緑四灯が白、白、紅三灯に変わり、マスト灯の開き具合から自船の左舷側近距離のところを航過する態勢となったのを認め、同船が右転して自船を替わそうとしているものと思い、依然大幅な右転をしないでそのまま続航中、同時四九分半ごろ大峰山丸が左舷側至近を航過したので、玄武が気になり後方を振り向いたところ、大峰山丸が左転しているのを認め、機関を停止としたが及ばず、原針路、原速力のまま、前示のとおり衝突した。

衝突の結果、大峰山丸は右舷船首部外板に凹傷を生じ、利丸は損傷がなかったもののえい航索が切断し、玄武は右舷船首部を圧壊したが、のちいずれも修理された。

(証拠)

1 大峰山丸船長小畑勇雄及び受審人和佐諌提出の各海難報告書

2 海難審判庁理事官長浜義昭の受審人河野重光に対する、同官徳永聡の小畑船長に対する及び同官千手末年の和佐受審人に対する各質問調書

3 大峰山丸の船舶検査手帳、船舶件名表、航海・機関両日誌抜粋、海上公試運転成績書、一般配置図、使用海図(第八〇号)、積揚荷役協定書及び損傷箇所図各写並びに損傷写真五葉

4 利丸の船舶検査手帳、船舶件名表、航海日誌抜粋、海上試験成績表、一般配置図、使用海図(第八〇号)、マイルポスト走行記録、超音波外板厚さ測定記録各写

5 玄武の一般配置図及び海上保険証券各写並びに損傷写真二葉

6 海難審判庁理事官織戸孝治の玄武の船舶登録についての照会に対する四国運輸局の回答書

7 石廊崎測候所の気象資料

8 原審審判調書中の河野、和佐両受審人の各供述記載

9 海難審判庁理事官北野洋三の玄武に設置した標識灯等についての照会に対する和佐興業有限会社の回答書

10 株式会社ゼニライトブイの小型標識灯及びゼニライト灯浮標標識灯各カタログ抜粋写

11 補佐人土井三四郎提出の社団法人日本海事検定協会作成の玄武検査報告書(損傷模様及び灯火設置模様)

12 当廷における河野、和佐両受審人の各供述

なお、

一、大峰山丸の定針時刻については、定針、衝突両地点間の航程と速力とにより衝突時刻から逆算して求め、

一、定針地点及び定めた針路については、河野受審人に対する質問調書中、二六〇度の針路で石廊崎灯台に並航して針路を二六七度に定めた旨の供述記載により、二八〇度に転針した地点を通る二六七度の方位線と同灯台を通る一七〇度の方位線の交点を採り、

一、速力については、小畑船長に対する質問調書中、速力は約11.5ノットであった旨の供述記載に、海上公試運転成績書写中の速力試験成績表の各資料を照合し、

一、河野受審人の利丸初認の模様については、同人に対する質問調書中、二六七度に定針して間もなくレーダーで約五海里に利丸の映像を認めるとともに白灯も視認しやがて同白灯が上下一線の三灯なので何かを引いている引船であることを知った旨の供述記載により、

一、転針時刻については、転針時の両船間の距離と両船の各運航模様とにより衝突時刻から逆算して求め、

一、転針地点については、転針したのち小角度の右転をするまでの経過時間、針路及び速力により小角度の右転をした地点から逆算して求め、

一、転針時の両船間の距離については、河野受審人に対する原審審判調書中、二八〇度に転針したのは両船間の距離が三海里よりもっと接近していたが舷灯は見えず転針後しばらくして利丸の両舷灯が見えた旨の供述記載に利丸の舷灯の視認距離を照合し、

一、小角度の右転をした時刻については、河野受審人に対する質問調書中、利丸と約一海里に接近したとき五度右転して二八五度の針路とした旨の供述記載により、両船間の距離が一海里となる時刻を両船の各運航模様により衝突時刻から逆算して求めたものに、和佐受審人の当廷における、相手船が変針して紅灯のみに変わったのは衝突の約四分前である旨の供述を照合し、

一、小角度の右転をした地点については、同右転後衝突するまでの経過時間、針路及び速力により衝突地点から逆算して求め、

一、河野受審人が家庭内のことで思い悩んでいた点については、同人の当廷における、利丸が何かを引いていることは承知していたが当時家庭のことで悩んでいたことがあり考えごとをしていた旨の供述及び小畑船長に対する質問調書中、衝突後の河野受審人の説明は理解し難いもので居眠りでもしていたのかと思ったがそうではなく何か悩みごとがあったようである旨の供述記載により、

一、両船の航過距離については、大峰山丸が左舵をとったときの舵角、海上公試運転成績書写中の舵角三五度における旋回径から算出した舵角二〇度における旋回径、衝突角度から逆算した大峰山丸の回頭角度、左舵をとってから玄武に衝突するまでの経過時間及び利丸の玄武えい航状態等を総合勘案して作図により求め、

一、河野受審人が左舵をとったときの状況については、同人に対する質問調書中、利丸と並んだとき左舵をとりその後玄武の灯火に気付いた旨の供述記載、同人の当廷における、当時家庭のことばかり考えていて何のために左転したのか自分でもわからないが台船のことを忘れて原針路に戻すつもりであったと思う旨の供述及び和佐受審人の原審審判調書中、大峰山丸が航過してから同船が折れるように左転した旨の供述記載により、

一、衝突時刻及び同地点については、河野、和佐両受審人に対する質問調書中、午前一時五〇分ごろ石廊崎灯台から二四八度四海里ばかりの地点で衝突した旨の一致した各供述記載により、

一、衝突時の大峰山丸の船首方向については、衝突時の玄武の船首方向と衝突角度とにより、

一、衝突角度については、和佐受審人に対する質問調書中、衝突角度は約三〇度であった旨の供述記載に、大峰山丸及び玄武の各損傷模様を照合し、

一、利丸引船列の灯火点灯状態については、和佐受審人に対する質問調書添付の利丸及び玄武の各灯火点灯状況図に、社団法人日本海事検定協会作成による玄武検査報告書中の灯火設置模様の記載を照合し、

一、定針時刻、同地点及び定めた針路については、和佐受審人に対する質問調書中、午後一〇時二分ごろ御前崎灯台から南二海里ばかりの地点で針路を東微南とした旨の供述記載により、

一、速力については、定針、衝突両地点間の航程と経過時間とにより求めたものに、和佐受審人に対する質問調書中、えい航速力は約七ノットである旨の供述記載を照合し、

一、転針時刻については、転針、衝突両地点間の航程と速力とにより衝突時刻から逆算して求め、

一、転針地点及び転じた針路については、使用海図写中の記載により、

一、和佐受審人の大峰山丸の灯火初認模様については、同人に対する質問調書中、衝突の約一五分前に左舷前方四海里から五海里の間に大峰山丸の白灯二灯を初認した旨の供述記載により、

一、和佐受審人が大峰山丸の灯火が白、白、紅、緑四灯から白、白、紅三灯に変わったのを認めた点については、同人に対する原審審判調書中、緑灯が見えていたが紅灯も見えはじめやがて紅灯のみとなったので本船のことを認識したものと思った旨の供述記載により、

一、衝突時の玄武の船首方向については、和佐受審人に対する質問調書中、台船の振れはほとんどなく原針路のまま衝突した旨の供述記載により、

一、相対位置関係については、両船の各運航模様によって衝突時からそれぞれ逆算して求めた関係各時刻における両船の船位と船首方向とにより、いずれもこれを認定した。

(原因)

本件衝突は、夜間、石廊崎南西沖合において、西行する大峰山丸と東行する第十一利丸引船列とが、ほとんど真向かいに行き会い衝突のおそれがある際、大峰山丸が、第十一利丸引船列の左舷側を通過することができるよう大幅に針路を右に転じなかったことと、第十一利丸引船列が、大峰山丸の左舷側を通過することができるよう大幅に針路を右に転じなかったこととに因って発生したものである。

(受審人の所為)

受審人河野重光が、夜間、石廊崎南西沖を西行中、ほぼ正船首にほとんど真向かいに行き会う第十一利丸のえい航船としての灯火を視認し、第十一利丸引船列と衝突のおそれがあることを知った場合、同引船列と十分な航過距離をもって通過できるよう、大幅に針路を右に転ずべき注意義務があったのに、これを怠り、そのうちに右転をして替わそうと思い、速やかに大幅に針路を右に転じなかったことは職務上の過失である。河野受審人の所為に対しては、海難審判法第四条第二項の規定により、同法第五条第一項第三号を適用して同人を戒告する。

受審人和佐諫が、夜間、台船玄武を長いえい索でもってえい航し、石廊崎南西沖を東行中、ほぼ正船首にほとんど真向かいに行き会う大峰山丸の灯火を視認し、これと衝突のおそれがあることを知った場合、十分な航過距離をもって通過できるよう、大幅に針路を右に転ずべき注意義務があったのに、これを怠り、そのうちに大峰山丸が右転するものと思い、速やかに大幅に針路を右に転じなかったことは職務上の過失である。和佐受審人の所為に対しては、海難審判法第四条第二項の規定により、同法第五条第一項第三号を適用して同人を戒告する。

よって主文のとおり裁決する。

高等海難審判庁

(審判長審判官小泉諄一 審判官小竹勇 審判官山本敏夫 審判官松井武 審判官小西二夫)

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